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ヨーロッパの世界遺産 World Heritage

ヨーロッパの世界遺産 World Heritageを勉強中

ソルテア

ソルテア(Saltaire)

(英名) Saltaire
(仏名) Saltaire
登録年 2001年


ソルテア(Saltaire)
ソルテア(Saltaire)は、イングランドのウェスト・ヨークシャー州ブラッドフォードにあるヴィクトリア時代のモデル・ヴィレッジ(model village)である。エア川とリーズ・リヴァプール運河(Leeds and Liverpool Canal)の流域にある。この町はユネスコの世界遺産登録物件であると同時にヨーロッパ産業遺産の道のアンカーポイントの一つでもある。

歴史
ソルテアは開明的な産業家サー・タイタス・ソルト(Titus Salt)によって1853年に建設された。ソルテア(Saltaire)という町の名前はソルト(Salt)とエア川(Aire)を組み合わせたものである。彼はブラッドフォードで5つの工場を経営していたが、それらを全てこの地に移転・集約した。その目的には労働者たちの処遇をブラッドフォードでのものよりも向上させる事や、運河や鉄道による地の利を活かして巨大な繊維工場を作る事が含まれていた。彼は建築業者として、ブラッドフォードのロックウッド・モーソン社(Lockwood and Mawson)を雇った。

類似の計画は、同じウェストヨークシャー州内のコプリー(Copley)ではエドワード・アクロイド(Edward Akroyd)によって数年早く開始されていた。また、ソルテア同様世界遺産になっている綿製糸工場の村ニュー・ラナークは、もっと早く1786年にデヴィッド・デイルによって建設されていた。

ソルトはブラッドフォードのスラムよりもずっと上質な小綺麗な石造家屋を労働者たちのために建ててやり、水道のある洗濯所、浴場、病院なども建てた。さらに、図書館や読書室、コンサートホール、ビリヤード場、科学的な研究室、スポーツジムなどを備えた娯楽・教育施設も建て、施設救貧院、村民向けの菜園、公園、ボートハウスなども整備した。


会衆派教会 (1856-59)
ソルテア 会衆派教会
タイタス・ソルトは1876年に歿し、会衆派教会に敷設された霊廟に葬られた。さらにソルトの息子も亡くなると、村はパートナーシップに引き継がれた。そのパートナーシップには、ホワース(Haworth)出身で12歳から村の工場で働いていたジェイムズ・ロバーツ(James Roberts)も含まれていた。

彼は毎年ロシアに行き、ロシア語に堪能だった。彼はソルテアを保有することになったが、ロシアに過剰に投資していたため、ロシア革命でいくらかの損害を蒙った。また、彼はリーズ大学にロシア講座を寄贈した。彼はT・S・エリオットの詩『荒地』(The Waste Land)でも言及されており、没後イーストサセックス州のフェアライト(Fairlight)に埋葬された。


今日のソルテア
2001年12月にソルテアはユネスコの世界遺産に登録された。これはつまり政府がソルテアの保全の義務を負ったということである。

村は確かにかつての姿を十全に保ってはいるが、エア川の渓谷は東西交通の要路であることから、交通量の多さによって所々傷んでいる部分もある。また、蛮行によって荒らされた公園の修復も要請されている。

村の建造物群は個別に重要文化財建築(listed buildings)に登録されており特に会衆派教会の教会堂は保護レベルが最高(グレード1)になっている。ソルテア自体も当然、保全地域(Conservation Area)である。

かつて娯楽・教育施設だった建物はヴィクトリア・ホールと改称され、ヴィクトリア朝リード・オルガン博物館(Victorian Reed Organ Museum)がホール内に開設されているほか、集会、コンサートなどに使われている。

ソルテア・フェスティヴァル(en:Saltaire Festival)も開催されている。これはもともとソルテア開村150周年を記念して2003年に開かれたものだが、以降毎年9月に11日にわたって行われている。


バイパス案
ソルテアは他の世界遺産物件などと同じく、世界遺産としての空間的コンテクストを守るために、周辺に緩衝地域(バッファー・ゾーン)が設定されている。

しかし、この緩衝地域を通るバイパスの計画がブラッドフォード議会とアクション・エアデイル(Action Airedale)から発表された。あわせてソルテアの村自身に似つかわしくないトンネルを掘ることも発表された。

ミルからの見晴らしの範囲内で、トンネルに敷設された鉄道が走り、会衆派教会の裏手から出てくることになるのである。そして鉄道はリーズ・リヴァプール運河を並走し、保全地域に大きなインパクトを与える可能性が高い。

計画されているルートは、古い半自然の森林庭園やナブ・ウッド墓地の森林庭園にも影響を及ぼすことになる。


今日のソルツ・ミル
ソルツ・ミル(Salts Mill)は1986年に操業を停止し、翌年に複合施設として生まれ変わった。現在は商業、レジャー、居住用などが組み合わさっている。メインの建物に入っているのは以下のものである。

1853ギャラリー(The 1853 Gallery
いくつもの大部屋に、ソルテア生まれの芸術家デイヴィッド・ホックニーの絵画、図面、フォトモンタージュ、舞台セットなどが展示されている。

2006年には書店、宝石店、アンティークショップ、紳士服店、自転車屋などがあった。また、アルヴァ・アールトやフィリップ・スタルクが手がけた品物を扱う家庭用品店などもあった。

レストランや喫茶店
運河をはさんだ向かい側には地元の国民健康サービス(National Health Service Trusts)の事務所と居住区画に分かれている「新工場」(The "New Mill")がある。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




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diemausic9 08:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | イギリス

ブレナヴォンの産業景観

ブレナヴォンの産業景観

(英名) Blaenavon Industrial Landscape
(仏名) Paysage industriel de Blaenavon
登録年 2000年


ブレナヴォン(Blaenavon, ウェールズ語 : Blaenafon)は、ウェールズ南東部にある町で、その産業景観は世界遺産にも登録されている。ポンティプールの北にあるAfon Llwyd川の源流に当たる丘の中腹に位置し、人口は6349人(調査時点不明)である。




鉱工業の町
スウェーデンに見られるブレナヴォン製の線路ブレナヴォンは1788年に始まった製鉄業で成長した町である。その遺構の一部は博物館になっている。製鋼と炭鉱が続いて成長して町も賑わい、一時は町の人口が2万人を超えていた。しかし、1900年に製鉄業が終焉を迎え、1980年には炭鉱も閉山された結果、町は衰退し、失業率の高まりと人口の高齢化が進んでいる。

街の観光名所には、ビッグ・ピット国立石炭博物館(Big Pit National Coal Museum)、ブレナヴォン製鉄所(Blaenavon Iron Works)、ポンティプール・ブレナヴォン鉄道(Pontypool and Blaenavon Railway)のほか、ブレナヴォンの歴史的に重要な山々にある古い作業場群などがある。



ビッグ・ピット
ビッグ・ピット国立石炭博物館は、ヨーロッパ産業遺産の道のアンカーポイントの一つである。1980年に炭坑が閉山されたあと、1983年に観光客向けの体験型の博物館として再出発した。観光客はかつて使われていた姿をとどめている坑道を、鉱夫に扮して見学することができるようになっている。観光用の坑道としてはイギリスで最大級である。

観光客が多く訪れる観光地になっており、町には経済効果も大きいが、開設当初見こまれていた雇用創出効果は極めて限定的である。


古書の町
ブレナヴォンの古書店街炭鉱閉山後の衰退の中で、ヘイ=オン=ワイに続いてウェールズで二番目の古書店街になろうという試みも行われた。しかし、それによって観光客を呼び込もうという狙いはうまくいっていないようである。これは辺鄙な場所に立地していることなどに起因している可能性がある。



とはいえ、地元の関心と投資は、町の大通りをかつての姿から一変させたし、潰れずに残っている数少ない古書店には、質の高い稀覯本の在庫がある。


コミュニティ
町には多くの活気のあるコミュニティ・グループがあり、例えばその一つであるフューチャー・ブレナヴォンは、町の麓にコミュニティ・ガーデンを作る手助けをしている。


『タイム・チーム』の発掘
チャンネル4の歴史・考古学系のテレビ番組『タイム・チーム』(Time Team)が2001年2月放送分でブレナヴォンを扱った。テーマは「失われた高架橋」を探すというものだった。この橋は世界最初の鉄道高架橋で、鉱石を積んだ荷車を馬が牽いていたという。

これは1790年に建造された全長40m、高さ10mの橋だったが、25年のうちに消え失せてしまった。取り壊されたという記録はないことをもとに、取材グループは場所の特定を進めると同時に、まだそこにあるかどうかを確かめようとした。

この結果、調査最終日にあたる3日目の午後遅くに、土と瓦礫の12m-15m下に、丸天井を備えた高架橋の上端が姿をあらわし、まだ建ったまま埋もれているらしいことを窺わせた。

しかし、発見が最終日遅くだったこともあり、安全上の理由から、グループはそれ以上掘り進むことはできなかった。とはいえ、この発見は今後本格的な発掘が行われたときにはより大きな成果をあげられることを意味している。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




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バミューダ島の古都セント・ジョージと関連要塞群

バミューダ島の古都セント・ジョージと関連要塞群

(英名) Historic Town of St. George and Related Fortifications, Bermuda
(仏名) Ville historique de St George et les fortifications associées, aux Bermudes
登録年 2000年


セント・ジョージ港
バミューダ島の古都セント・ジョージと関連要塞群

セント・ジョージ (St. George's、公式にはTown of St. GeorgeまたはSt. George's Town)は、バミューダ諸島のバミューダ島にある町。バミューダ諸島中最初に定住が進められた町であり、今日でもアメリカ大陸最古のイギリス植民地とされている。

セント・ジョージに初めて定住が始まったのは、最初のイングランド人植民者がバミューダへやってきてから3年後の1612年だった。

イングランド人植民者たちはバージニア植民地(現在のアメリカ合衆国バージニア州)へ向かう途上、乗っていたシー・ヴェンチュア号が慎重に珊瑚礁内を進んで到達したセント・ジョージズ島へ降り立った。

植民者たちはイングランド海軍提督ジョージ・ソマーズと陸軍大将トーマス・ゲイツ(バージニア植民地の町ジョージタウンの知事)に率いられた。生存者たちは新たに2隻の船をつくり、ほとんどの人々がジョージタウンを目指して旅を続けたが、バージニア会社は島の所有を主張した。

そのときにシー・ヴェンチュア号から残った3人の男性たちと、後から60人の新たな植民者集団が加わり、隣のセント・デイヴィッズ島での悲惨な時期の後、悪天候時には船を守っておける避難所となる入り江にセント・ジョージの建設を始めた。


ステイト・ハウス
バミューダ島の古都セント・ジョージと関連要塞群
1620年から、首都がハミルトンへ移転する1815年までバミューダ議会が置かれていたこの小さな町は歴史的に無視できない重要な場所とされる。

バミューダの歴史のみならず(1815年までバミューダの首都であった)、アメリカ合衆国を形作るのを助ける中枢の役割を演じた。アメリカ独立戦争中、バミューダ住民は弾薬庫から必要とされた火薬を盗んでいた(弾薬庫はセント・ジョージを防衛する近隣の砦に供給されたもの)。

当時バミューダ島北端の町トバッコ・ベイからジョージ・ワシントンの元へ密輸されていた。彼らはおそらく、セント・ジョージを拠点とする貿易をしていた荒廃したアメリカ連合国へ軍需品供給をして、南北戦争を長引かせた。


セント・ピーターズ教会
バミューダ島の古都セント・ジョージと関連要塞群

現在、セント・ジョージの歴史文化財は基本的に首都ハミルトンの経済発展によって手つかずのままである。

建物のほとんどは17世紀から19世紀にかけ建てられたもので、名士たちは後世の変化のあらゆるしるしを隠し、町の景観を破壊しかねない発達を妨げる熟考した上の努力を行ってきた。

例えば、電気やガスの配管、電話線などは地中に埋設され、街灯は町が栄えた時代の様式を採用している。バーバーズ・アレイやアント・ペギーズ・レーンなどの狭い通りは、数世紀前の姿をとどめている。

セント・ジョージには無駄な遺物はない。しかし、生活者の町であり、歴史的な建築物の機能は博物館のみならず、住居、レストラン、パブ、そして商店となっている。中心部のキングズ・スクエアでは、タウン・ホールと観光サービス局が側に立つ。

ステュアート・ホール
バミューダ島の古都セント・ジョージと関連要塞群

広場にはさらし台のレプリカ、そしてかつて港へ醜聞の渦中の女性を沈めるのに使用されたという水責め椅子のレプリカがある。現在、地元ボランティアたちはこの風変わりな処罰を復活させようとしている。

セント・ジョージ港内にあるオードナンス島はキングズ・スクエアの南に位置し、小さな橋で結ばれている。

そこには難破船に乗員たちによってつくられた2隻の船の一つデリヴァランス号の模型があり、彼らを指揮したジョージ・ソマーズの等身大ブロンズ像がある。

町周囲の場所と同じく、オールド・ステイト・ハウス(1620年に建てられた最初の石造りの建物。バミューダ議会が置かれており諸島最古の建物である)のような多くの歴史的な場所がある。

未完成の教会ではオールド・レクトリー、セント・ピーターズ教会(西半球最古のイギリス国教会の教会)、タッカー・ハウス、バミューダ・ナショナル・トラスト博物館がある。

1996年、セント・ジョージはジョージ・サマーズ卿の生誕地ドーセット州ライム・レジスと姉妹都市協定を結んだ。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




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オークニー諸島のスカラ・ブラエ遺跡群

オークニー諸島のスカラ・ブラエ遺跡群

(英名) Heart of Neolithic Orkney
(仏名) Coeur néolithique des Orcades
登録年 1999年


オークニー諸島 (Orkney Islands)
オークニー諸島 (Orkney Islands) は、イギリス・スコットランド北東沖に位置する諸島。グレートブリテン島とは最狭部で幅10キロメートルのペントランド湾(Pentland Firth)によって分かれている。人口は19,800人(2006年現在)。
オークニー諸島のスカラ・ブラエ遺跡群
州都はメーンランド島中央部のカークウォール(Kirkwall)で、市内にはノルマン風のセント・マグナス大聖堂(St. Magnus Cathedral)がある。




地理
大小約70の島からなり、
メインランド島(Mainland)主島
ホイ島(Hoy)
サンデー島(Sanday)
ウェストレー島(Westray)
など約20の島に住民がいる。総面積は974平方キロメートル。

ホイ島を除いて全般に低平で、肥沃な砂質ロームが覆っていて、気候も海洋性の温和な気候で農業に適している。


歴史
オークニー諸島のスカラ・ブラエ遺跡群
メーンランド島にはオーストラリアの考古学者ゴードン・チャイルド(Vere Gordon Childe)が調査を行ったスカラ・ブラエ(Skara Brae)など新石器時代の遺跡があり、ユネスコ文化遺産に登録されている。

鉄器時代にはピクト族が定住していた。ローマ時代にはオルカデス (Orcades) と呼ばれていた。

875年から1231年まではノルウェー国王下のバイキング領主が支配した。その後、デンマーク王クリスチャン1世(ノルウェー・スウェーデンの王も兼ねる)の王女マーガレット・オブ・デンマークがスコットランド王のジェームズ3世に嫁ぐ際の持参金代りにスコットランド領となった。

第一次世界大戦、第二次世界大戦中は諸島内にあるスカパ・フローに英海軍の艦隊基地がおかれた。

オークニー諸島のスカラ・ブラエ遺跡群

経済
肥沃な土地と温和な気候を利用して集約的農業が営まれ、肉牛、鶏卵、羊毛、大麦などをイギリス本土へ送り出している。漁業はエビが中心で、海草加工やウィスキー醸造もみられる。

20世紀末には北海のパイパー油田(Piper oilfield)からのパイプラインが南部のフロッタ島(Flotta)まで建設され、石油基地となっている。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



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diemausic9 09:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | イギリス

マリタイム・グリニッジ(Maritime Greenwich)

マリタイム・グリニッジ

(英名) Maritime Greenwich
(仏名) Maritime Greenwich
登録年 1997年

マリタイム・グリニッジ(Maritime Greenwich)マリタイム・グリニッジ(Maritime Greenwich)は大ロンドン南東部の町で、グリニッジ・ロンドン特別区のテムズ川南岸に位置している。グリニッジ標準時の基準となる都市として、また「マリタイム・グリニッジ」(海事都市グリニッジ、河港都市グリニッジ)の名でユネスコの世界遺産に登録されている由緒ある港町として、よく知られている。

発音
伝統的なイギリス英語では「グリニッジ」(['ɡɹɪn.ɪdʒ], "GRIN-idge") だが、現在は「グレニッチ」(['ɡɹen.ɪtʃ], "GREN-itch") が通用している。ただし、地元では「グレニッジ」(['ɡɹen.ɪdʒ], "GREN-idge") や「グリニッチ」(['ɡɹɪn.ɪtʃ], "GRIN-itch") も代替可能な発音として受け容れられている。ただし、アメリカの地名では一般的な「グリンウィッチ」(['ɡɹɪn.wɪtʃ], "GRIN-witch") という発音は、この都市の発音としては不適切と見なされている。

マリタイム・グリニッジ(Maritime Greenwich)地理
グリニッジは北緯51° 28' 38"、経度0º 0' 0"に位置している。

観光名所
水運と密接に結びついてきたグリニッジの歴史的建造物群は、世界遺産に登録されている。

グリニッジ天文台がある都市としてよく知られており、この天文台をグリニッジ子午線が通っている。かつて、協定世界時に置き換えられるまでは、グリニッジ天文台での時間計測に基礎を置いたグリニッジ標準時が用いられていた。グリニッジはもはや実用的な天体観測を主導する場ではないけれども、いまなお報時球は正確に午後1時を知らせるし、町にはジョン・ハリソンの海事クロノメーターをはじめとする天文学や航海術に関する道具を集めた博物館もある。

天文台は、プラセンティア宮殿の敷地を利用したグリニッジ公園内にある。公園にはイニゴー・ジョーンズ作のクイーンズ・ハウスを含む国立海事博物館 (National Maritime Museum) があり、全ての建築物は自由に訪れることが出来る。

旧王立海軍大学 (The Old Royal Naval College) は、クリストファー・レンの手がけた丸天井付きの傑作で、世界遺産登録地の中央に位置している。ここはグリニッジ財団 (the Greenwich Foundation) が管理しており、毎日訪問者に無料で開放されている。旧大学内のいくつかの建造物はグリニッジ大学に貸されているが、the King Charles blockは、Trinity College of Musicに貸されている。また、ジェイムズ・ソーンヒル (James Thornhill) が塗装したペインティド・ホール (Painted Hall) やセント・ピーター、セント・ポール両礼拝堂(後者の内装はJames Athenian Stuartが手がけた)も、毎日グリニッジ・ヴィジター・センターからガイド付きツアーが出発している通り、一般に開放されている。

マリタイム・グリニッジ(Maritime Greenwich)グリニッジには扇を集めた世界唯一の扇博物館 (Fan Museum) があるのも特徴的である。この博物館はクルームズ・ヒル10番地から12番地にあり、同じクルームズ・ヒルには、ネヴァダ・ストリートの交差点の角にグリニッジ劇場 (Greenwich Theatre) がある。グリニッジには劇場が二つあるが、もうひとつはグリニッジ・プレイハウス (en:Greenwich Playhouse) である。

クリッパーの「カティーサーク」は川沿いの乾ドックで保存展示されている。2006年から帆船の大規模な保存プロジェクトが始動し、2008年9月に終了する予定であった。しかし2007年5月21日に火災事故が発生、現在復元の見通しは立っていない。現在船や周辺にアクセスすることは、修復の都合で制約されるが、それはこのサイト(外部リンク)で確認が取れる。そのそばには、長い間、フランシス・チチェスター (Sir Francis Chichester) が226日間世界一周(1966年 - 1967年)を行ったケッチである「ジプシー・モス4世号」(Gipsy Moth IV) も展示されていたが、第二の航海歴を積み重ねるための大規模な修繕のために2004年に移送された。

カティーサークのそばには、テムズ川の北側のアイル・オブ・ドッグズ (Isle of Dogs) へ行くための歩行者用のトンネル「グリニッジ・フット・トンネル」(Greenwich foot tunnel) がある。トンネルの北側の出口はアイランド・ガーデンズ (Island Gardens) にあり、そこからはカナレットが描いたグリニッジ病院の有名な眺めを望むことが出来る。病院の北西の角の前の川沿いに、北極探検者のジョゼフ・ルネ・ベロー (Joseph René Bellot) を記念するオベリスクが立っている。

ミレニアム・ドームは、グリニッジ半島のブリティッシュ・ガスの使われなくなった敷地に建てられた。これは地下鉄のノース・グリニッジ駅に隣接し、グリニッジ中心街からはおよそ5kmのところにある。ドームの南には、都市の再開発地区であるグリニッジ・ミレニアム・ヴィレッジ (Greenwich Millennium Village) が存在する。

都市中心部の西側に建っているのがセント・アルフィージ教会 (St Alfege's Church) である。この教会が建っている場所は、1012年にカンタベリー大主教アルフィージが殺害された場所であり、現在の教会は1714年に建築家ニコラス・ホークスムーア (Nicholas Hawksmoor) が手がけたものである。

都市中心部では、週末にはグリニッジ市場 (Greenwich Market) が多くの観光客で賑わう。


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