


アグリジェント(Agrigento)



ベスビオス山が西暦79年8月24日に噴火した際、盛況だったポンペイの2つの町、ローマ、ヘラクラネウムとその領域の多くの裕福な別荘を巻き込んだ。 これらを次第に掘削して、中世18世紀以来、一般にアクセスしやすくした。
末期はローマの属国となり、ローマ人の余暇地として栄えた。最盛期の人口は約2万人といわれる。噴火直後に当時のローマ皇帝ティトゥスはポンペイに使者を出すが、市は壊滅したあとだった。市民の大多数はローマなどに逃げたが、助からなかった市民も多くいた。
カンパニアの諸都市が同盟市戦争と呼ばれる戦争をローマに対して起こすと、ポンペイも反ローマ側に加わった。しかし、紀元前89年、ルキウス・コルネリウス・スッラによって町は征服された。これによりポンペイは周辺のカンパニア諸都市とともにローマの植民都市となった。ローマの支配下に入った後のポンペイの正式名はColonia Cornelia Veneria Pompeianorum(ポンペイ人によるウェヌス女神に献呈されたコルネリウスの植民市)となった。ポンペイは、港に届いたローマへの荷物を近くのアッピア街道に運ぶための重要な拠点となり、以後、商業都市として栄えた。
娼館に残っていた壁画壊滅後は二度と集落が作られることはなかったが、その後1000年以上「町」という地名で呼ばれ、散発的に古代の品が回収され、下に都市が埋まっていることは知られていた。
野外闘技場跡よりヴェスヴィオ火山を望む町の守護者は美と恋愛の女神ウェヌスであった。娼婦の館などが発掘され、ここで男女の交わりを描いた壁画が多く出土したことから、現代ではポンペイは快楽の都市とも呼ばれる。


ポルトヴェーネレ(Portovenere)
概要
概要

1729年にヴィットリオ・アメデオ2世がフィリッポ・ユヴァッラに狩猟用の宮殿の設計を依頼。その後、ベネデット・アルフィエリらが拡張。屋根の頂上にフランチェスコ・ラダッテの鹿のモニュメントが設置されている。聖アンデレ十字(サンタンデレ、聖アンデレの十字)の形に建物が左右に延びている。現在、美術品及び歴史的家具博物館(Museo d'Arte e Ammobiliamento storico)が内部に併設されている。トリノ市外ニケリーノにある。
カゼルタ宮殿 (イタリア語: Reggia di Caserta)は、イタリアカンパニア州カゼルタ県カゼルタにあるブルボン家のナポリ王が建てた宮殿。18世紀にヨーロッパで建てられた中で最も巨大な宮殿といわれる。1996年、UNESCO世界遺産に登録された。
宮殿建設の動機は、カゼルタに王国の新たな行政上の壮麗な首都をつくることにあり、宮廷が海からの攻撃を避けるためであった。王は、カゼルタ宮に劇場、巨大図書館、大学をつくることに決めた。
王宮部分の全てはヴェルサイユ宮殿に触発された物で、カゼルタ宮殿は原型を追従する最大のものである。いまだ建築当時のままである欄干のある眺め、長い変化のないファサードの中にある装飾的構造物によってわずかな壊れ目が用意されている。
宮殿は王家の私室と、ナポリ王家宮廷とにあてられており、宮殿敷地内には政府庁舎や国立図書館、大学、国立劇場が建てられていた。これらは、ナポリの無秩序やむさくるしさから切り離されていた。
ディアナとアクタエオンの噴水 - パオロ・ペルシコ、ブルネッリ、ピエトロ・ソラーリの彫刻 





アルベロベッロのトゥルッリ(The Trulli of Alberobello)は1996年に世界遺産に登録されたイタリアの建造物群。